【⑨第9回:君子と小人(その2)】
10名のCARP選手感染により今週末の阪神戦が延期(中止)となり、益々不安高まる広島市内を脱出してコロナ疎開中…八幡高原の山小屋ステイ5日目の朝です。西中国山地最奥ゆえに中々雨雲が抜けず、今朝も天気予報に反して雨が降り頻っております。
今日の記事は先週に続いて「君子と小人」、前稿で書き切れなかった観点を(その2)として補足したいと思います。なお、写真は山小屋「湖稜庵」の屋外に自前で造った五右衛門風呂、一昨日焚口のコンクリート工事をして乾いてきたみたいなので、雨が止んだら新緑の露天♨風呂を愉しみたいと思います。
■子曰く、君子は上達す。小人は下達す。《憲問篇》
‥(訳)君子は物事の本質を考える。小人は末節にとらわれる。
⇒前回に続いて、立派な人間たる君子と取るに足らぬ小人のレベルの違いが認められています。ダメ上司の枝葉末節にうんざりの部下、学卒離職者が多い最近の傾向を若者の我慢の無さに設えて、上司の至らなさを省みない会社が意外に多いのではないでしょうか?
■子曰く、君子はこれを己に求む。小人はこれを人に求む。《衛霊公篇》
‥(訳)責任を自覚しているのが君子、他人に転嫁するのが小人である。
⇒前言を受けて、言うに及ばずですね。次に過ちに関し、小人と君子の違いを示します。
■子夏曰く、小人の過つや、必ず文かざる。《子帳篇》
■子貢曰く、君子の過つや、日月の食の如し。過つや人皆これを見る。更むるや人皆これを仰ぐ。《子帳篇》
‥(訳)子夏が言った。小人は、失敗をしでかすと、必ず言い訳をする。子貢が言った。君子の犯す過ちは、日蝕や月蝕のようなものである。過ちを犯すと、全ての人が注目するし、それを改めると、全ての人が仰ぎ見る。
⇒小人の言い訳は論外ながら、多くの人から注目される立ち位置にある君子は過ちも目立つ訳で、影響力も大きいからこそ間違ったら決して誤魔化さずに正当に反省して直すべきと説かれています。
■孔子曰く、君子に三畏あり、天命を畏おそれ、大人だいじんを畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎なれ、聖人の言を侮る。《季氏篇》
‥(訳)君子、は三つのものに敬虔な態度で接する。則ち、天命と大人と、そして聖人の教えである。ところが小人は、天命に対して敬虔さを欠いている。大人に対しても馴れ馴れしい態度をとる。聖人の教えは鼻であしらう。
⇒もはや君子と小人の差は埋まりようもない大差ですが、私は小人を自覚して向上に努める姿勢を貫き続ければ、やがて君子レベルに成長できるものと確信しています。
■子曰く、色はげしくして内やわらかなるは、これを小人に譬うれば、それなお穿愈せんゆの盗のごときか。《陽貨篇》
‥(訳)見かけは厳しくて頼もしそうだが、中味はぐにゃぐにゃで主体性に欠ける人間、それは小人を例にとると、最もみみっちいコソ泥のようなものだ。
⇒『仁』を中心とした徳世実現の足枷がこうした見掛け倒しの小人、下手に影響力を持っているだけに孔子は痛烈な言葉をもって批判しています。
■子曰く、郷原きょうげんは徳の賊なり。《陽貨篇》
‥(訳)えせ君子は、徳の泥棒である。
⇒この稿の最後に郷原について付け加えたいと思います。孔子は素晴らしい人間は中庸を貫けると言っていますが、一見中庸に見えてそうではない(見分けがつけ難い)のが郷原で、あっちに行ったりこっちに来たり自分の得になりそうな方にブレまくる人間のこと。私の関わった某政府系組織にも、保身のために他人を貶めて自分を売り込むお手柄頂戴主義の小役人が居て悩まされたものです。因みに、その中庸について語っているのが以下です。
■子曰く、中庸の徳たるや、それ至れるかな。民鮮すくなきこと久し。《雍也篇》
‥(訳)中庸の徳は、まことに素晴らしい。しかし、この美徳も、民間で廃れてしまってから、既に久しい。
⇒混迷の春秋戦国時代にあって、理想とする周王朝と比べて廃れたことを嘆く件です。