事務所方針

サポート方針

 多彩な資格と多様な相談経験に基づく支援企業数は独立開業以来22年間で3,000社超。業種横断的な相談経験から編み出したオリジナル経営戦略論「人体健康模型図」は、あらゆる組織(業種・規模)に通用する戦略ツールとして、金融機関や行政等から定評を頂いております。

 地元広島を中心に西日本地域を活動フィールドとし、経済産業省の経営革新認定取得に係る企業支援実績は地場№1クラスの100社超、継続支援先の80%超が増収増益を達成、日本経営品質賞の受賞案件も4件手掛けるなど、初級から上級レベルまで全体最適型PDCAマネジメントの実現をサポートしています。最近では、2013年に国の中小企業経営力強化法で認められた「経営革新等支援機関」に登録されるなど、信頼と実績に裏打ちされた安心のコンサルティング・サービスを提供しています。

CEOメッセージ

【三戸先生 米寿記念講演会(於:立教大学)】

CEOCEO

                           【出身行での目利き能力養成研修(於:広島銀行)】

 2005年経営学の巨人ピーター・ドラッカー博士が95歳で逝去。私の恩師:三戸公先生は日本的経営論で高名で、若い時は既成価値観の両極にある資本主義・社会主義の現実社会への普遍性に疑問を抱き、真に幸せな組織社会とは如何にあるべきかを斬る第3極の理論体系のベースとして、当時全く学会から無視される存在にあったドラッカー理論の有効性に逸早く注目、同博士研究の第一人者(1971年刊「ドラッカー」)という経営学会大御所の先生です。

 当時教鞭を執られていた立教大学の三戸ゼミナールに、私は幸運にも2年次から入れて頂きました(※実は山口出身の三戸先生には広島弁の私は採用基準が低かったようです)。このゼミは、週2日学内が真っ暗になった夜9時頃まで延々と行われることで、学内では有名な“気違いゼミ”と称される研究室でした。裏口的入ゼミ生の私には、厳選された先輩同輩の頭の良さに全く歯が立たない訳で、所謂“落ちこぼれ”的存在でした。でも、何故か三戸ゼミには夜8時頃から卒業生が次々とやって来ては、社会人としての自身の境遇等を我々学生の前で発表され、それに先生がレクチャーするという”生の講義”を受けることが出来たことが、その後の私の人生において貴重な財産となりました。

 座右の銘「対象に生きる」を授かった三戸先生の米寿祝賀記念講演が、多くのゼミOB生参集のもと5年前に母校で開催されました。昔と変わらずチョークを握り教壇に立っての延々2時間にわたる講義。情報化社会の行き着く先を斬り込んだ内容も然ることながら、御年88歳と思えない先生の迫力に一同圧倒されました。我々生徒も全員が各々社会人の道を歩んでいる訳ですが、この久し振りに聴いた講義から改めて”生き方”を教わったように思いました。

 私は大学を卒業後に地元に帰り金融機関へ就職しました。そして企業の経営者と間接的に関与する機会を得て、初めて学生時代に学んだ経営学の知識が活かせることに気付きました。“落ちこぼれ”だった過去の自身への反省を込めて企業実務に知識を応用(※実際は基礎の復習)してみると、経営の楽しさが見えてきました。そこで国家資格である中小企業診断士の試験にチャレンジ、毎朝5時起床で2年間勉強して合格した頃、世の中は山一證券の破綻をはじめとする未曾有の金融不況。融資の仕事の大半は債権回収、所謂”貸し渋り(貸し剥し)”の残念な時代でした。

 そこで1998年に独立開業を思い立ち、以来一貫してご支援の機会を戴いた企業・組織の皆様に対し、その場その場で私に出来得る最大限の貢献でお役に立つことだけを心掛けて参りました。従って、中小企業診断士資格を得た後も、実際の企業支援実務を通して更なる知識のブラッシュアップが図られ続けていると自負しております。こうした中、三戸先生米寿祝賀宴会の際、優秀な同窓の皆なの前で恩師から「実社会に出てお前が一番三戸君の理論を実践しとるのぉ…」とお褒め頂きました。尊敬する恩師からの勿体ないお言葉に恥じることなく、これからも一期一会ご縁がある皆様方へ精一杯の奉仕をさせて頂きたいと存じます。

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