【経営のプチ勘所vol.43:東日本大震災の被災地巡り旅(後半:宮城県)】

【東日本大震災被災地巡りvol.3】
無料高速道路の三陸復興道路の整備が進んで、アクセスは格段に向上‥県境を超えて宮城県気仙沼へ入りました。
前回訪ねた際、車中泊して印象深いJR気仙沼線の大谷海岸駅‥他の町が太平洋に向かって高い防潮堤が当然のように存在するのに対し、ここは全く無防備に見え不思議な気分のまま駅前に到着。
周りにあった筈の街並みが無くなり、海岸すぐ近くの駅だけがポツンと存在を主張してきた。ただ、よく見るとプラットホームから海岸に直結していた高架橋がない‥更に線路が寸断されている。ホームには“あの日を忘れないためそのまま保存”との主旨の慰霊碑がありました。
観光客の気配の全く感じられないこの場所に佇むにつけ‥胸を抉られる思いがしました。

【東日本大震災被災地巡りvol.4】
①南三陸町;志津川お魚通り商店街、②石巻市;アイトピア商店街、この2箇所は経済産業省「(新)頑張る商店街100選」に選ばれた‥あの日までは確かに元気な中小企業者の居た街である。
私も勉強のため訪れ、そして飛び込みにもかかわらずその秘訣を教えて頂いたことがある。
果たして皆さん大丈夫だっただろうか?‥いつも気掛かりだった。
①志津川は有名な防災対策庁舎の近くに新しく造られた「南三陸三三(さんさん)商店街」が大にぎわい(^-^)v…市場も機能していて、鮮魚で人気というコンセプトが健在で安心しました。
②石巻は沿岸部を除いて‥以前の建物も結構残っていて一見大丈夫そうに見えましたが、営業中のお店は半数以下といった感じ。前に話を聞いた商店街リーダーのお店は確認できませんでした。
最後に、桜の名所「日和山公園」に上がって街の様子を確認。ここは学生時代のGW休みに、青森から自転車で東北地方縦断した際の最終地点。花見客に交じって賑やかな街並みを見下ろした記憶が戻り、やるせない空虚感に包まれました。


【経営のプチ勘所vol.42:東日本大震災の被災地巡り旅(前半:岩手県)】

【東日本大震災の被災地巡り旅vol.1】
あちこち気儘な東北の旅をして参りましたが、本日より本来の旅の目的「東日本大震災」の被災地巡り。
今日は久慈から釜石まで‥朝一“じぇじぇじぇ”の「あまちゃん」ロケ地の小袖海岸では☀晴れてましたが、南下に従ってやはり☔雨模様。
昼御飯で被災者さんに貢献しようと、田野畑の仮設店舗「浜茶や食堂」でウニ丼を食べようと探して行くもお休みだったので、次の田老で3店舗を構える地元名店ながら全て津波にのみ込まれ消滅‥新たに道の駅で再出発された「喜助屋食堂」で名物のどんこ丼➕わかめラーメンのセット(¥1,200)を頂きました。
更に南下して山田町では湾内いっぱいに牡蛎筏が浮かぶ様子を見て少し安心しましたが、どの町も高い防潮堤が続々と整備中で‥特に宮古では湾内ぐるりと万里の長城の如き高い壁(石段50段以上?‥)が取り巻く異観には絶句でした。
実は自分は震災8ヶ月前の夏に、この地区の商店街視察を兼ねて主な観光地には足を運んでいるので、今回は北山崎・浄土ヶ浜などのメジャー所はスルーして‥思い入れのある所を中心で廻ろうと考えてました。
しかし、釜石大槌町の根浜海岸へは未だに通行止めで訪ねること能わず‥代わりに最近こけら落としが終了したばかりで来年のWカップ?ラグビー会場になる鵜住居震災復興スタジアムに寄ってみました。

【東日本大震災被災地巡りvol.2】
東北地方は☔雨が続き、然したる観光(無論登山は無理)は出来ずやや悶々とした旅の空の下です(*_*)。
次に訪ねたのは、岩手県南部の大船渡~陸前高田‥高田の松原も街もすっぽり無くなってしまっていた。あの「奇跡の一本松」?モニュメントツリーに群れる観光客の列が虚しさを増します。
ここを以前訪ねた2010年7月、当時4才の元気盛りの愛犬?が松原をダッシュしていた画像?も見つけたので‥比較アップします(※割愛)。