【③第3回:知と仁について(補講)】
前稿の「徳」について、孔子は沢山の論点から繰り返し述べています。少し難しいので、今週と来週は少し補っておきたいと思います。
■知を問う。子曰く、「民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく。知と謂うべし」。仁を問う。曰く、「仁者は難かたきを先にして獲うることを後にす。仁と謂うべし」。《雍也篇》
‥(訳)弟子が「知」について尋ねた。孔子が答えるには、「人間としての義務を果たし、鬼神のようなものからは敬して遠ざかる。こういう生き方ができてこそ、知者と言えるのだ」。更に「仁」について尋ねると、孔子はこう答えた。「率先して困難な問題に取り組み、報酬は度外視する。こういう生き方ができてこそ、仁者と言えよう」。
⇒『仁』は孔子が最高道徳と位置づける規範で、一言で表現するなら“物事を健やかに育むこと”とされる。人として当然の義務を果す『知』を超えた高い領域にある『仁』を希求すること、これは私にとって強く意識する行動基準であり、実際に易きに就かず難事に取組み乗り越えて成長の糧にすることを心掛けて来ました。また、ご依頼が有れば極力応えること、その際金銭報酬の多寡を判断基準としたことがなく、財政的に苦しい方には行政の無料相談で対応することも多々あります。なお、知と仁について以下の表現もみられます。
■子曰く、仁に里おるを美となす。択びて仁に処らずんば、焉んぞ知なるを得ん。《里人篇》
‥(訳)仁に基づいて行動するのは美しい。だから、そういう行動を選択しない人間は、とうてい知者とは言えないのである。
⇒仁者としての行動の前提条件として、知者としての素養が身についていることが不可欠となります。その『知』について自覚を促すフレーズが次の通り。
■子曰く、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う。《学而篇》
‥(訳)人から認めてもらえないと嘆く必要はない。むしろ、他人の真価に気付かないでいる自分の方こそ責めるべきだ。
⇒自分についての客観的評価をさて置いて愚痴ることに何の進化もありません。自分の不足や課題を見出し自覚して前向きな行動に繋げていくことこそ、知者のあるべき姿ではないでしょうか。