【経営のプチ勘所vol.55:「論語」を読むシリーズ~第6回:学びについて~】

【⑥第6回:学びについて】

今週は「学び」の概論についてまとめてみました。コロナ禍のゴールデンウィーク、ステイホームの要請下で天気も不安定なので…日頃読めない分厚い本でも読んで過ごしませんか(写真:LIFE SHIFT等は以前読んだ本ですが、生き方の道標として良い本ですよ)。

■子曰く、性、相近し、習、相遠し。《陽貨篇》

‥(訳)生まれながらの素質に、それほど違いがある訳ではない。その後の習慣の違いによって、大きな差がついていくのである。

⇒孔子が生涯学習の祖であることは初稿に採り上げました。当時の学びの対象は歴史とされますが、そうした古の叡知を学べるのが書物です。私たちは義務教育以降、社会人になるまで目的や対象も曖昧なままプログラムとして学びを半強制的に強いられるため、学卒後に学習を続ける方は少ないのが実態でしょう。私は大学ゼミの恩師、三戸公先生に出会って学問の意味を教わりました。就職して多忙にかまけ、折角基礎を教わった経営学書から遠ざかっていましたが脱サラを機会にリセット、中小企業診断士の稼業でより良い支援ができるよう勉強を続けて来ました。今日振り返るに、この無形の積み重ねが自信にも繋がっていることを実感します。これからも孔子に習って、生涯にわたって勉学向上に努めて自分を向上させていきたいものです。以下では、「論語」の学びに係るフレーズを幾つか抜粋して紹介します。

■子曰く、学びて思わざれば則ちくらし、思いて学ばざれば則ち殆あやうし。《為政篇》

‥(訳)読書にばかり耽って思索を怠ると、折角の知識が身につかない。逆に、思索にばかり耽って読書を怠ると、独断に陥ってしまう。

⇒三戸先生から経営学は人生の学ということを教わりました。また、読書で得た知識を実践して活かしてこそ価値があると、私の中小企業診断士としての而立を喜んで頂きました。三戸先生、孔子と人生の羅針盤たる師があることに感謝しています。

■子曰く、黙してこれを識しるし、学びて厭わず、人を諧おしえて倦まず。《述而篇》

‥(訳)黙々として思索を重ねる。学問に励んで飽きることがない。人に教えて疲れることを知らない。これ位のことなら、私のような人間にも無理なくできる。

⇒孔子の生き方が謙虚に語られていますが、何より学問を希求することが“楽しい”という境地(知<好<楽)が素直に表現されていて素晴らしい。

■子、子夏に謂いて曰く、「女なんじ、君子の儒となれ、小人の儒となるなかれ」。《雍也篇》

‥(訳)孔子が子夏を戒めて、こう語った。「学ぶことの目的は、自分を向上させることにある。世間の評判ばかり気にするような人間にはなるな」

⇒学校教育や出世の階段で、とかく学問は競争選別の手段に成り下がってしまいがちですが、本当の目的についての孔子のストレートな指摘すっきりします。

■子曰く、古の学ぶ者は己のためにし、今の学ぶ者は人のためにす。《憲問篇》

‥(訳)昔の人間は、自分を向上させるために学問をした。今の人間は、名前を売るために学問をする。

⇒私からすれば何れも昔ですが、学問に取り組む真の意義が語られています。

■孔子曰く、生まれながらにしてこれを知る者は上なり。学んでこれを知る者は次なり。困くるしみてこれを学ぶはまたその次なり。困しみて学ばざるは、民にしてこれを下となす。《季氏篇》

‥(訳)生まれながら知能に恵まれている者は最高である。学んで身につけた者はその次である。必要に迫られて学ぶ者は更にその次である。必要に迫られながら学ぼうとしない者は最低である。

⇒天賦の才のない私は“次”を目指して学習に励んでいます。経営者とお話する中で、“その次”の学びを促すのが我が務めと考えて指導させて頂いている手前、自ずと“下”の方とはお付き合いがありません。

■子曰く、学は及ばざるが如くするも、なおこれを失わんことを恐る。《泰伯篇》

‥(訳)学問というのは、必死になって追いかけていくものだ。それでもなお目標を見失ってしまう恐れがある。

⇒学求姿勢についての語りですが、孔子のように“楽しい”境地ではないにせよ、自分を高める弛まぬ努力の必要性が指摘されています。

■子曰く、三年学びて、穀に至らざるは、得易からず。《泰伯篇》

‥(訳)三年もみっちり勉強すれば、誰でも仕官の口ぐらいは見つけることができる。

⇒私の場合も、大学ゼミに3年在籍、中小企業診断士資格取得に2年、凡人でもみっちり勉強を続ければそれなりの成果が得られることを実感します。長い人生の中の僅か3年、勉強するか!しないか?皆さんはどうお考えでしょう。

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