【経営のプチ勘所vol.50:「論語」を読むシリーズ~第1回:人生の楽しみ~】

【①第1回:人生の楽しみ】

手首・足首の骨折も未だ癒えず、先週は大腸ポリープの切除…未だ組織検査の結果が出ていない状況ですが、愛好する山登りを兼ねて九度山から高野山上:壇上伽藍~奥之院を歩いて訪ね、四国八十八ヶ所結願後の高野山満願成就の御朱印を頂いて来ました(R3.3.26~27)。

シリーズ第1回目は、仕事も趣味も楽しみという私の境地について認めてみました。

知<好<楽:子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。《雍也篇》

‥(訳)理解することは、愛好することの深さに及ばない。愛好することは、楽しむ境地の深さに及ばない。

⇒これは私が最も好きなフレーズ。“知”とは後述予定の徳の第1原理、学びの基礎を成すもので、前稿『志学』に乗り遅れた学生時代、脱サラを決意して三十歳前後に毎日5時起き通算約2千時間の自己啓発をもって取得した中小企業診断士資格を全うし得た要素です。正直言って、それまでの人生において勉強は“やらされ感”の苦痛と同居していましたが、この時は不思議と勉強が“好”きになり、問題集で経営改善案を検討する時には“楽”しいとさえ思えたのです。以来、仕事(業)でも趣味(遊)でもこの境地を追求することが私の人生観の基本となっています。

楽しみて以って憂いを忘る:葉公、孔子を子路に問う。子路対こたえず。子曰く、「女なんじ、なんぞ曰ざる、その人となりや、憤りを発して食を忘れ、楽しみ以って憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らざるのみ、と」。《述而篇》

‥(訳)葉公が子路に向かって、「孔子とはどんな人物ですか」と尋ねた。子路は答えることができなかった。後でそれを聞いて孔子が語るには、「どうして言ってくれなかったのだ。気持ちが高ぶってくると、食事のことも忘れてしまう、楽しみに熱中していると、心配事も吹っ飛んでしまう、そして老い先の短いことにも気付かないでいる、そんな男だと」。

⇒孔子の人となりを表すものですが、好奇心旺盛な極めて人間的な人柄、前向きかつ直向きなプラス思考があの時代に73歳という長寿を全うした秘訣だと思います。周りはある意味大変かも知れませんが、私はこうした若々しい感覚を忘れずに生きたいと願います。

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